まちねっと府中/米軍府中基地跡地の廃墟解体ページです!

ホーム>府中の古今>府中基地跡地の廃墟解体

府中米軍基地跡地の廃墟の解体前と解体後

・最近になって、基地返還後の北側(国有地)が手つかずで廃墟となっているが、やっと建物の解体が始まりました。
・1940年(昭和15年)に旧陸軍燃料廠として設置された施設で、1945年(昭和20年)からアメリカ軍施設としての使用が始まった在日米軍府中基地。
・1982年12月、米軍府中基地跡地(現在の浅間町一丁目の全域)を3分割して利用することが決定され、北側の3分の1は大蔵省(現・財務省)が、南西の3分の1は地方自治体(東京都)が、そして南東の3分の1は防衛庁(現・防衛省)が利用することとなった。
・その一部が、1991年6月1日 府中の森公園(東京都)として開園されました。(Wikipedia資料より)

崩れかかった廃墟解体前

住宅地のすぐ横で、いまにも崩れそうな平屋の建物(左) / 2017年3月、幕が張られ解体中となっている(右)

北東の住宅街から見たフェンス越しの風景 / 奥に見えていた宿舎が解体され、ツタや雑草も消えました。

敷地北隅の東西に建つ2階建ての兵隊さんの宿舎

解体前は、ツタに覆われた廃墟でした / 解体後は前方のタワーとパラボラアンテナを見ることができます。

敷地北隅の南北に建つ2階建ての兵隊さん宿舎

ここも、すぐ右横が都営住宅ですが / 解体後は、北側の住宅が良く見通せます

2棟の宿舎の間から見えていたパラボラアンテナは見通しがよくなりました。パラボラアンテナは府中基地跡地のシンボルです。

すぐ左隣には都営住宅と駐車場が隣接しています。ちょっと不気味な廃墟でした。

北側から見た2機のパラボラアンテナ(府中トロポサイト)

アンテナは北の仙台に向いています。現在でも自衛隊で使われているかは不明です?(かなり錆びているようです)
返還跡地内にある2基の対流圏散乱波通信(Tropospheric Scatter:トロポスキャッター)用の大型パラボラアンテナとその関連施設は府中トロポサイトの名でも知られている。この施設は1950年代末から1960年代前半にかけて日本列島を縦断する在日米軍の通信網が整備された際に設置されたもので、アンテナの直径は45フィート(約14m)あり、北北東方向に向けられている。(Wikipediaより)

西側の住宅地から見た宿舎とアンテナ

私が高校生の時、基地内の新聞配達バイトをした宿舎なので建物内は良く覚えています。
宿舎は、中央が出入口で、中央に長い廊下があり、両サイドに兵隊さんの部屋が並んでいました。私が配達した新聞はドア下の隙間から部屋に入れました。集金の時は窓の明かりで在宅かを確認していました。昼間は居ないので夜に集金することが多かったのです。

解体工事のお知らせ(掲示板)

平成28年9月から11月末までの工事期間で、工事請負金額は、166,428,000円(1億6642万円)と書かれています。
また、アスベスト含有断熱材の除去工事と書いてあります。当時はアスベストを使用していたんですね?

廃墟の解体地図と1966年の基地入門証

北端の5か所の白い細長い物が、兵隊さんの宿舎廃墟解体跡です。(今はコンクリート基礎のみ)
右の入門証は、1966年(昭和41年)私が新聞配達のアルバイト(高校生3年間)で使用していたものです。(Newsboy of PSS)


・府中基地跡地と関東村跡地は、私にとって高校生活3年間の思い出が詰まっている場所です。唯一北側の敷地が当時のまま残っていることで、当時を思い出させてくれます。なぜ今でも廃墟のままなのかは知りませんが、私にとっては廃墟のままで良かったのかもしれません。なので、府中基地跡地は私の一周散歩ジョギングコースとなっています。
・この跡地利用は、いろいろ案が出ているようですが、自然と緑が残るような施設になることを望みたいものです。
(2017/3/15 清水が丘1丁目在住 斉藤 実 68歳)

▲ ページTOP