「まちねっと府中」分梅町は、東京府中市分梅町の身近な情報を発信するサイトです!!

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分梅町

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分梅町案内図(1丁目~5丁目)

分梅町マップ

インフォメーション

・2016. 8.30   人口数の更新。
・2016. 8.30   HTML5/CSS3版に改編しました。
・2016. 3. 8   トピックス更新。
・2016. 2.15   人口数の更新。
・2014. 7.16   ”楽しむ”公園ページ公開
・2014. 6.11   トピックス、人口数の更新。
・2014. 6. 9   レイアウト更新。
・2012. 6.28   HP初公開。
 

トピックス

緑豊かな「御猟場道」、朝の8時前後には 一部上場企業に通う企業戦士達の通り道になっています。街路樹に「ユリノキ」が植えてあって、秋になると落ち葉でイッパイになります 今日も一日頑張って元気が出ます。

府中の森公園の梅園  

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分梅町のいわれ・町名の由来

分梅町のいわれ(昭和40年5月1日生まれ)

  5丁目からなる町で、字名には高倉下、市川、一里塚、川原田等があり、旧本町の領でした。「太平記」で有名な分倍河原の合戦の舞台になった所で、今その600年余の歴史を知るよすがはあまりありません。はけ下の地域は、昔合戦のあったころは古多摩川の流路やその川原地であり、多くの洪水のあった事が、歴史的にも知られています。

 

町名の由来

 鎌倉幕府の衰退が著しくなった元弘3年(1333年)5月、上州新田の庄で討幕の兵をおこした新田義貞は、多摩川を防備の拠点とする鎌倉方(総大将北條奉家)と、二日にわたり分倍河原で合戦しました。この戦いに勝った義貞は、いっきに、鎌倉へ攻め上り、22日に幕府を滅ぼしました。この古戦場ゆかりの地にちなんで名付けられた町名です。

町の様子

 1丁目 (人口 1,284人 うち外国人6人)

高倉古墳を中心とする東西450m 、南北300mの範囲には30基の古墳が発見されています。1丁目にある高倉塚古墳は、径約20m・高さ約3mの円墳です。高倉塚古墳の真向かいには農家のミニ直売所があり、安くて新鮮なので得した気分になります。

高倉古墳

 2丁目 (人口 1,446人 うち外国人1人)

2丁目の南側には分倍河原古戦場や、新田川緑道があります。小川のせせらぎに癒され穏やかな気持ちになれるスポットです。緑道を下ると南町に入ります。東側の本町4丁目と隣接しています。中央自動車道の高架下北側に〒分梅局があります。

分倍河原古戦場

 3丁目 (人口 1,295人 うち外国人27人)

3丁目にはJAマインズ・野菜直売所があります。常時、新鮮な野菜がおいてあります。社会福祉法人 たけの子福祉会の運営による、私立府中保育園は19番地にあります。定員122名の、保育園としてはかなり規模の大きい施設です。府中崖線分梅町緑地に沿って御猟場道があります。

府中崖線分梅町緑地に沿う御猟場道

 4丁目 (人口 785人 うち外国人10人)

くらしの友府中儀典センターは1番地にあります。5町の中では1番面積が狭く、都営分梅住宅のほかには目立ったスポットはありません。西側の住吉町3丁目と隣接しています。>

分梅橋公園

 5丁目 (人口 1,634人 うち外国人33人)

10番地に鎌倉街道に沿って、ローソンがあります。9番地に府中消防署分梅出張所があります。西方の京王線・中河原駅まで、500m位です。住吉1丁目と南町3丁目に隣接しています。

府中消防署分梅出張所

(人口は府中市の住民基本台帳による町丁別人口表より 平成26年8月1日現在)

(人口は府中市の住民基本台帳による 平成26年8月1日現在)

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