押立町案内図(1丁目~5丁目)
押立町にある由来碑 (クリックで大きな画像になります)
「まちねっと府中」押立町は、東京府中市押立町の身近な情報を発信するサイトです!!
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押立町にある由来碑 (クリックで大きな画像になります)
押立町は市の最南東にあり、五丁目から構成されています。慶長元年の大洪水で村を縦断され、多摩川の対岸、現在の稲城市に向押立を残して現在のところへ移動したものです。江戸時代の中期には、この村の名主川崎平右衛門定孝が殖産治水に大きな功績をあげ、代官にまで昇進しました。現在、その墓が竜光寺に在り、都の旧跡に指定されています。
押立の名は江戸時代から使われており、住民全員の賛成で押立町という町名になりました。
東側の白糸台通り、西の六中通り、そして町の中央をしみず下通りが東西に走っています。北東側に市民の憩いの場である「押立公園」やしみず下通り沿いの市立体育館、そして西側には斜めに3丁目に向かって押立緑道が通っています。
町の中央を「押立通り」が南北に貫いています。北側は白糸台の車返団地ですが、この地域も典型的は住宅地となっています。南側は4丁目にある都立府中高校と接しており、その向こうに東西に走る中央高速道が見えます。
町の真ん中の上を中央高速道が東西に走っており、稲城インターチェンジがあります。また南側は小柳町に属する都の「北多摩一号水再生センター」と接しています。北側には、1丁目の押立緑道から続く「押立町西公園」があります
4丁目も上を中央高速道が東西に走り町を南北に分けています。北側には都立府中高校があります。また、南側には由緒ある「押立神社」、そして江戸時代殖産治水で名高いこの地の偉人川崎平右衛門が眠る「竜光寺」があります。
中央を多摩川通りが川に沿って東南に走っています。これと並行して川の土手を延々とサイクルロードが流れています。休日にはジョギング、サイクリングを楽しむ人々で賑わうところです。この町の多摩川通りの中央部には古き「押立の渡し」の碑が立っています、また4丁目に近いところに押立文化センターや公会堂があります
(人口は府中市の住民基本台帳による町丁別人口表より 平成28年8月1日現在)
(人口は府中市の住民基本台帳による 平成28年8月1日現在)